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奇仏巡礼(3) 鼻欠地蔵

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仏像ばかり連投していますが、息切れしないようにボチボチがんばります。

今回は鼻欠地蔵(はなかけじぞう)です。
このお地蔵様は白山道奥磨崖仏とセットで見に行きました。

この鼻欠地蔵、写真の左側のこんもりしたものがそうなのですが、もはや言われなければ人工物とは思えないほど崩壊しています。
名前の通り、形が残っていたころは鼻が欠けていたことからこう呼ばれていたそうで、江戸時代の「江戸名所図絵」には挿絵が残っています。
現在は全身欠地蔵となってますが。

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これが在りし日の姿だそうです。
この大きな岩の裏手に回りこむ道なんかはまだ残っていたりして、絵のままの姿で残ってたらと思いますけど、この状態はこれで味がありますね。

看板にはこう書かれています。

崖に彫り込まれた像の高さが4m余りのお地蔵様の磨崖仏で、風化して花が欠け落ちて
いるため、このように呼ばれました。いつごろ、だれが彫ったかはわかりません。
 江戸時代に出版された『江戸名所図絵』には、この地蔵の挿絵があり、やさしそうな顔立
ちや膝元で組んだ手などが描かれていますが、今はその輪郭を見ることができます。また、
江戸時代の地歴が書かれている『新編鎌倉誌』には、この地蔵について、武蔵国と相模国
の境界にあることから「界地蔵」と言われたこと、この場所から北へ向かう道は釜 利谷や
能見堂へ通じたことが書かれています。
 また、地蔵の前の道は、六浦道と呼ばれた金沢と鎌倉を結ぶ、中世からの大切な道であ
ることから、この地蔵が交通の要所に祭られ、広く人々の信仰の対象となっていたことがわ
かります。

このお地蔵さんは狭い歩道に飛び出すように存在しているので、地蔵側の歩道を歩いていると見つけにくいです。
反対側からみるとでこぼこのダルマ型を眺めることが出来ます。
なんだか顔の小さい外国人相撲取りのような体型ですなあ。

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これは近くからの写真。
なんとか仏像らしき痕跡を探したのですが、見つけられず。
地蔵様の左側ギリギリまでコンクリートで補強として塗り固められていて、看板がかろうじて昔の遺物としての存在を知らしめています。
もっと大事にしてあげて~
きっと屋根でもついてれば全然違ったんでしょうね。

場所は環状4号線沿い、大道中学校前バス停のすぐ横にあります。
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